住職のひとりごと (令和6年2月19日)

『急がば回れ』と『瀬田の唐橋』

 2月17日の京都新聞の滋賀地域面に『瀬田の唐橋遊歩道 竹灯籠の明かり温か』と題した記事が記載されていました。「瀬田の唐橋」東詰辺りの瀬田川沿い遊歩道(大津市瀬田1、2丁目)に、地元の園児や高齢者らが絵や文字を描いた竹灯籠約300個が並び、行き交う人を温かい明かりで照らしている。という記事です。(灯籠の設置を3月21日までということです。)

 その記事の中に『「急がば回れ」の語源となった唐橋は地域の貴重な文化遺産の一つ』と書かれていました。
 ことわざ『急がば回れ』は知っていましたが、その語源が地元の『瀬田の唐橋』だったとは、思ってもいませんでした。

 そこで、ネットで『急がば回れ 唐橋』で検索してみると
 ことわざ『急がば回れ』の語源は、『武士(モノノフ)の 矢橋(ヤバセ)の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋』という短歌に由来しているということを初めて知りました。
 この和歌の作者には二説あり、平安後期の歌人・源俊頼(みなもとのとしより)が詠んだという説と、室町時代の蓮歌師・宗長(そうちょう)が詠んだという説があるそうです。

 当時、京都に向かうには(距離の短い)草津の矢橋から大津まで船で琵琶湖を渡る方が早かったが、比叡山から吹き下ろす強風によって危険な航路だったため、急ぐなら(距離の長い)瀬田の唐橋を通った方が安全だという意味で、このような歌が詠まれたとのことです。

 上記の地図は https://withnews.jp/article/f0160816003qq000000000000000W03j10601qq000013857A に記載されていた地図を借用しました。

 ちなみに、私が令和元年まで住職をしていた『浄光寺』、令和元年から現在住職をしている『西方寺』、令和五年から兼務住職をしている『大専寺』と『瀬田の唐橋』の位置関係は次のようになっています。

 68年近く大津に住んでいますが、地元のことでも知らないことがまだまだあるなと実感した次第です。