住職のひとりごと(令和4年11月14日)

立冬に寄せて

 1週間前の11月7日は立冬(りっとう)でした。『暦便覧』では、『冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也』と説明されています。この日から立春(令和5年2月4日)の前日までが暦の上では冬ということになるわけですが、実際には秋の極みと言いますか、各地で紅葉の季節です。浄土宗の総本山である京都の知恩院でも11月12日(土)から12月3日(土)まで午後5時30分から午後9時30分(受付終了:午後9時)までの時間で秋のライトアップ(夜間特別拝観:有料)がなされています。昨年のこの時期は、今年4月にさせて頂いた知恩院御忌大会唱導師のお稽古(このお稽古のことを『習礼(しゅらい)』と言います)の為に10月から6ヶ月間、月に4〜6日知恩院へ行っておりました。習礼の終わるのが午後5時過ぎで、知恩院を出る時にはちょうどライトアップが始まる時間で、きれいにライトアップされた紅葉とプロジェクションマッピング(建物などの立体物に映像投影する技術)で昼間とは異なる知恩院の様子に感激したのを覚えています。時間があれば是非、知恩院のライトアップされた夜間特別拝観(拝観料:大人800円;小人400円)にお出かけ下さい。

 話は変わりますが、西方寺の庭には茶室があります。先代住職である私の父が昭和55年頃に建てたものです。その後、私の母がその茶室で先生に来てもらって何名かで茶道のお稽古をしておりました。その茶室も最近15年程はほったらかしになっていました。今年の8月頃にふとしたきっかけで茶道に興味を持ち、茶道(裏千家)のお稽古を先生について始めました。すこし修理しないと他の人に来てもらっては使えない茶室ですが、私ひとりでのお稽古なら何とかできる状態です。現在、修理の為の見積もりを取っているところで、その茶室を使えるようにして使っていくことが、茶室を建てた亡くなった父や茶室を使っていた亡くなった母の供養にもなるかなと思っています。

 その茶室には建てられた当時から、エアコンも隠されていて冷暖房完備で、昭和57年頃の夏休みに滋賀県の高校教員の採用試験の勉強をそこでしていた覚えがあります。当時の西方寺ではエアコンはその茶室にしか付いていなかったからです。残念ながら滋賀県の教員採用試験には落ちてしまって、大阪の上宮高等学校へ非常勤講師として勤め始めました。その後、上宮で専任教員として化学を教えていたのですが、コンピュータが得意だったもので、平成15年から高等学校で必修科目となった情報の免許を取りに行き(行かされ)ました。その後は、情報を教えていたのですが、平成17年からは教頭となり、平成23年からは校長、平成27年からは理事長(現職)と色々と経験を積まさせていただきました。滋賀県の教員採用試験に落ちたことで今の私があることを思うと、人生何が幸いするものか分からないという思いで、懐かしい茶室でお稽古をしている今日この頃です。

 ちなみに上宮中学校・高等学校の一番最初のホームページ(ウェブページ)を作ったのは私で、平成12年夏の事でした。それから5年間、上宮中学校・高等学校のホームページを作り(更新)続けましたが、平成17年に私が教頭になってからは専門業者に委託するようになりました。それ以来ホームページを作ることはなかったのですが、昔取った杵柄、その経験を生かして、今年の夏からこの西方寺のホームページを開設した次第です。

 唱導師の習礼(お稽古)や茶道のお稽古、稽古とは「先生について繰り返しよく習うこと」ですが、稽古の『稽』の漢字は「考える」を意味する漢字で、『稽古』には「古(いにしえ)を考える」「昔のことを調べ、今なすべきことは何かを正しく知る」という意味があります。

 知恩院に対して後柏原天皇が「今より後、孟春の月に遇わば、宜しく京畿の門葉を集会し、一七昼夜法然上人の御忌を修せしむべし」という『大永の御忌鳳詔』を与えられたのが大永4年(1524年)、今から約500年前のこと。

 茶道 裏千家 初代の千利休が生まれたのが大永2年(1522年)、今から500年前のこと。

 奇しくもほぼ同じ年代の流れを汲む、知恩院の御忌と茶道。これも不思議なご縁、巡り合わせと、阿弥陀様に感謝しながら茶道の稽古に励んでいる次第であります。御忌についてはお稽古(習礼)を繰り返し、古来からの伝統にのっとり、今年4月21日に無事大役を果たすことができました。茶道についてはこれからお稽古を重ね、お寺に来られた方にお点前を披露できるようになればと思っております。